「デジタルフォトへの道」なんて書くとちょっと偉そうなんですが、良く「いつ頃からデジタルをはじめられたのですか?」っていう質問をいただきます。
実は何年か前に日本コロムビアからCD-ROM写真集『LOVERS』というのを出していまして、それは僕の撮った外人、日本人カップルの写真に松任谷由実さんの楽曲をつけたCD-ROM写真集なんです。
さすが音楽業界の方達はデジタル化が進んでいまして、同じ部署でCD-ROM制作だけでなくホームページ制作もしていて、グラフィックデザイナーの方もすでにMacで作業をしていらっしゃいました。で、画像処理なんかもMacでしてるんです。
それとCD-ROM写真発売と同時期に日本コロムビアのホームページ内に杉山のサイトを作ってくれたんです。今のこのホームページはそこからの発展系?(コロムビアにあった時の方がアーティストっぽくてカッコ良かったかも?)当時カメラマンでホームページを持っていたのは、(それも本格的なもの)杉山が初めてだったのかもしれません。
そこからデジタルフォトやホームページにはまっちゃったんです。コロムビアの方々に会わなければ、デジタルフォトに開眼するのももっと遅かったと思います。

昨日の続きです。
その当時、最年少で日本広告写真家協会会員になる。(これもちゃんとした入会年度がわからなくなってしまってるので、今度協会に行って調べてきます)会合などに参加すると、いっぱい著名な写真家の方々がいたので、いつも緊張していたのを覚えている。
1986年に初の個展「SPIRITUAL MOMENT」(卒業制作から始まって、写真雑誌で連載していたシュルレアリスムのヌードシーリズ)をコダックギャラリーで開催。(当時は銀座並木橋の路面にあり、メーカー系のギャラリーではダントツの人気があった)
実は開催の前に友人のオーストラリア人のイラストレーター(オーストラリアではかなり有名だった)を訪ねて、1ヶ月程機材とBOOKを持って遊びに行っていたのです。彼の紹介で現地のファッション雑誌の仕事をさせてもらい、その仕事を気に入ってくれた日本人びいきの出版社社長の「ビザの世話をしてあげるから、うちにこないか?」の一言で、オーストラリア行きを決めたのです。で、写真展開催の挨拶のときに集まった人にオーストラリア行きを宣言し、開催終了1ヶ月後にはオーストラリア、シドニーに旅経ちました。 続きを読む

う〜ん、突っ込んできますねえ。あまり具体的に書いちゃうと「杉山って、ただラッキーなだけじゃん!」って言われそうで怖い。(笑)
まあ、でもほとんど同じような質問を毎回されることが多いから、インチキ自叙伝みたいだけど自分の半生(反省?)も含めてかいつまんで書いてみます。
岐阜の田舎で育ったヤツがマグレで日大芸術学部の写真学科に合格しちゃったので、上京したんです。東京は田舎では体験したことがないような毎日でした。大学には芸能人もいっぱいいるし、先輩や東京人はみんなかっこいいし、何でも知っている。で、写真学科と言えば、写真キチガイがいっぱいいて、なんかのフォトコンに入賞したヤツとかが結構いて、話している写真用語が杉山にはまったくわからない。まあ、写真やカメラのことをほとんど知らない田舎者には、カルチャーショックと自身喪失の毎日でした。
で、こんなことではイカンと奮起して、自分にためになりそうな先輩を見つけては金魚のフンのようにくっついていました。某有名作詞家の甥っ子の先輩には写真のことやら芸能界のこと、いけない遊びまでしっかり教えていただきました。ただいつも強く思っていたのは、とにかくいろんな人に会い、何かを吸収しようというハングリーさと、すぐに実行する、それも徹底して。すべての経験を写真に繋げる。
大学2年生くらいになると1年をどう過ごしてきたかが、はっきりと表れてきました。入学当時のただの写真キチガイではなく、本当に一生懸命写真をやってる連中が頭角をあらわしてきました。ライバル心は隠しつつもあいつには絶対負けない、信念ですね、これはもう。写真作家の大坂 寛さんなども同級生でライバルだね。
そうこうしているうちに、自分も頭角をあらわすことになります。まあ、女の子と付き合えば、その子はもちろん僕の専属モデル。撮りたいもの何でも撮っちゃいます。(ちょっと危ない発想ですが..)大学2年の終わり頃には50人近くの女の子のヌード作品持ってましたから。 続きを読む

「写真のもつ魅力は?」と言う質問を多くいただきます。
写真の道??
それ程よく考えた末での決断なんてものじゃないんですよ。カメラマンなんて仕事もいいかな?って言うくらいの気持ちでした。何となく美術系の大学にいきたいななんて思っていたんです。まあ、合格した大学が写真の学校だから、そこに入れば必然的に写真をはじめることになったということでしょうか?
だいたい岐阜の田舎で小中高をすごし、中高なんてサッカー部で、高校なんて国体選抜に入っちゃたものだから毎日毎日バリバリの体育系でした。だからかもしれないけれど美術系にはとても憧れてたりなんかして….僕の行っていた高校ってのが田舎では珍しく公立なのに美術科と音楽科があって、(そういえば映画監督の篠田正浩さんやアーティストの日比野克彦さんは同じ高校です。加納高校っていうんですけど。)「あいつら楽しいそう!」って思っていました。そんなもんです動機なんて。
僕も若い頃だったから、動機は単純だし、何も知らない田舎者って感じでしたよ。
大学に入ってから、負けず嫌いが幸いして、あれよあれよという間にドップリこの世界に入り込んだんです。人一倍、写真の事は考えていたし、写真も撮っていました。いくつか賞を取って、いろんな人と知り合ううちに在学中から仕事を始めちゃって、結構稼ぎが良かったので、就職がばかばかしくなってしまって、ず〜っとフリー。22才位の時には事務所も原宿、アシスタント付きになっていました。
写真の魅力??
なんだろう?自分がやってきたものが形に残る事かなあ?絵とか彫刻ななんてのもそうだけど・・・
自分を表現する?って言うほどではないけれど、なんだか、写真を撮るのは今でもすごく楽しいですよ。
あまり質問の答えになっていない感じがしますが、とにかく、他のアートよりは簡単に入っていけるところがいいんじゃないかな?

こちらもアニマル・ファッションの特集です。いろんな動物が小屋の中に住んでいます。ロケ場所は原宿にあるショップの更衣室なんですが、部屋にいるみたいでなかなかおもしろい写真ができました。誰?アムステルダムの飾り窓みたいと言ったのは?(笑)原宿系とギャル系では、こんなに違うのかというのが良くわかります。あなたはどっちが好きですか?

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タレントのはなちゃんを白元の新製品の「ゆたんぽ」のCMで撮影しました。電子レンジでチンすると、湯たんぽ状態が8時間ほど続くと言う、優れものです。
さすが、はなちゃんはモデル出身だから、撮影は手慣れたものです。ポーズも決まって、あっと言う間に撮影終了しました。写真の上がりはどの写真も良く写っていて、どれを選んだら良いかわからないくらいでした。さすがに売れっ子モデルだった人は違うと感心した撮影でした。

3日間の予定のファッション・カタログ撮影の仕事です。実は先週3日間の撮影だったのですが、天気に恵まれたのは1日だけで、2日間は曇天と雨でした。特に蓼科まで行った日は雨と霧が出たため、蓼科で朝、霧が出ていなかった時に軒下で撮った5カット以外は急遽、手配したハウス・スタジオに移動して、撮影を続行しました。それでも撮りきることができず、予備日として今日4日目の撮影です。またしても雨に降られて、代官山で雨が降っていない早朝に4カットを撮り、木場にあるハウス・スタジオへと移動して残りのカットを撮影しました。
どんな悪条件でも何とか使える写真を撮らなければならないのが、プロの厳しいところです。雨の中、ビニール・シートを張ってその下で撮影することもあるのです。天気だけはなんともしようがない。こんな日の撮影は普段の何倍も疲れてしまいます。

なんだか、知らないうちに連載状態になってしまったKERAですが、またまた、大変な企画を出してしまいました。クリスマスの特集で「いろんな場所でのクリスマス」なんて言うことを口走ってしまったのが運の尽き。渋谷、青山、原宿、代々木公園、代官山、お台場と、移動しながらのファッション撮影です。このところ過激なロケが多いので、杉山にはもう怖いものなしの状態です。でも、すごく楽しい撮影で、撮影の小道具で使ったケーキがおいしかった。スタイリングもヘアメイクも最高で、原宿系ファッションはおもしろい。

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ここのところカッコイイ系の写真が続いたので、そろそろ元気でラブリーな写真をと言うことで、洋服も流行の「check」を取り入れた元気ファッションで撮影することになりました。
ロケ地はカラフルな色づかいの巨大なゲーセンでの撮影です。言うまでもなく、やっぱり元気写真には元気なロケーションが絶対必要です。そして「サンサンと降り注ぐ太陽!」と言いたいところですが、この季節「女心と秋の空」なんてたとえがあるように、晴れたかと思うと曇り後雨、天気予報なんて全然あてにはならない。なんとか写真のテクニックで元気写真を作らなければなりません。そこで今回もデジタルの力を借りることにしました。

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