「どうやって若くしてプロになったのですか?」Part2

昨日の続きです。
その当時、最年少で日本広告写真家協会会員になる。(これもちゃんとした入会年度がわからなくなってしまってるので、今度協会に行って調べてきます)会合などに参加すると、いっぱい著名な写真家の方々がいたので、いつも緊張していたのを覚えている。
1986年に初の個展「SPIRITUAL MOMENT」(卒業制作から始まって、写真雑誌で連載していたシュルレアリスムのヌードシーリズ)をコダックギャラリーで開催。(当時は銀座並木橋の路面にあり、メーカー系のギャラリーではダントツの人気があった)
実は開催の前に友人のオーストラリア人のイラストレーター(オーストラリアではかなり有名だった)を訪ねて、1ヶ月程機材とBOOKを持って遊びに行っていたのです。彼の紹介で現地のファッション雑誌の仕事をさせてもらい、その仕事を気に入ってくれた日本人びいきの出版社社長の「ビザの世話をしてあげるから、うちにこないか?」の一言で、オーストラリア行きを決めたのです。で、写真展開催の挨拶のときに集まった人にオーストラリア行きを宣言し、開催終了1ヶ月後にはオーストラリア、シドニーに旅経ちました。

1年程はシドニーのローカルの仕事だけをしていたのですが、オーストラリア建国200年があり、現地の経済も発展し、日本でもオーストラリアブームがやってきます。日本では杉山がコマーシャルフォト誌の巻頭特集に掲載され、オーストラリア特集をする雑誌や、広告の仕事がどんどん増えて行きました。ターザン、流行通信、ハイファッションなどの雑誌、PARCOやCASIOの仕事、オーストラリア政府観光局の大キャンペーン広告なども担当した。(日本はバブルのまっただ中)
永住権を取得したのを期に現地の有名レップに所属したのでローカルの仕事では、エル、コスモポリタン、ハーパスバザーなどの雑誌もこなしました。
約5年滞在の後、帰国。人物・ファッションを中心とした広告・雑誌の分野で日本での活動を再開しました。
1993年から1997年の間には、オーストラリアでの仕事をまとめた写真展や撮りおろししたカップルの写真などで、立て続けにPARCO、高島屋などで個展を開催、写真集を出版しました。
1997年からは「中山秀征の写せっ!」(フジテレビ系列)などのTV番組にもレギュラー出演。同年、日本コロムビアよりCD-ROM写真集「LOVERS」発売。それを期にホームページを作り、デジタルフォトを導入。
こんな感じで現在に至っているのですが、振り返ってみると、何かのお導きのようにラッキーなことが続いています。でもいつも自分の指針にしていることは、「ひらめきを大事にし、すぐに行動する。」「あきらめずに、継続する。」ということと、「何にでも感謝!」