私が、考える写真

写真というメディアは言語を必要としない唯一のものであるということは誰もが認めるものである。昨今のWEB世界の拡大により、個人が世界に発信できる時代になり、より一層言語を必要としない写真の重要性がましてきた。

カメラを含む映像機器の進化や新しいメディアの発達により、その写真の概念も大きく変わってきている。
カメラ、画像処理の進歩により、かってのようにピントを合わせ、適正露出を決めるというような初歩的なプロとしての技術的な要件から解放され、よりその捉える内容が重要となってきている。
今も昔も時代には関係なく、作品を作る上で一番重要であるのは、独自な主体性あるコンセプトであることは変わりないが、その従来からの考えにプラスして、現代では新しいメディアの形、とりわけWEBや電子機器などでの新しい表現や時代に即した内容であることも重要になってきている。

その考えに基づいて、私は新しい表現媒体ができるたびにいち早く、エンハンスドCD-ROM写真集、携帯で撮った写真集、インタラクティブなアプリケーション写真集、電子写真集などを発表し、時代を生きる写真を制作してきた。
時代の予言者、証言者としての活動は、その時代の流行を加速させることにもなった。

そういった活動を経て、希少な民族のアーカイブ作品、今現在取り組んでいるのは、故郷の神社仏閣のアーカイブ作品を制作している。
これは、カメラ機材の高画素化に伴って可能になった高精細写真機による、詳細を克明に捉えることを第一義とした、撮り手の意識や思想を排除して、一切の意図的な要素を含まないアーカイブ作品である。

これらの考えは、広告写真家としての気質が大きく影響していると思うが、時代を読み、分析し、作品作りをすることを私は第一義としてる。