写真を撮るときの気持ち

題 「僕の好きな写真」

僕の好きな女性の写真は、後ろ姿の写真です。どうして顔の見えない写真が好きなのかというと、顔というのは指紋のように個人個人だれでもちがうものを持っているからです。医学的にいえばその人しか持ってない遺伝子の組合わせみたいなものだからです。その人しか持っていない個性(顔)だから、美しいのはあたりまえなんじゃないかなと思うからです。でも、もし顔のない写真、またはほとんどの顔の見えないような写真でその人の美しさを表現しようと思ったら、きっと難しいのだと思います。だから杉山さんの写真は大好きです。

そんな、女性の後ろ姿をあたかもその人でしか持っていない魅力的な身体を、セクシーに美しく表現しているからです。身体って、通常スタイルがいいから美しいと感じるのが、ごく一般的な見る側の気持ちじゃないかなって思います。
でも、本当は身体も顔のようにその人の個性を表現できるほどの美しさを持っているんじゃないかなって思います。たとえば、顔というのは、笑った顔、悲しい顔、怒った顔、楽しんでる顔などなど表現しやすい要素にあふれているものですよね。でも、身体で、それを表現しようと思ったらとっても困難なことですよね。きっと、それを美として表現し引きだすことをしてくれているのが、杉山さんのような人なんだと思います。ぞくに言うプロということなんだと思います。

真の美を表現するのはとても難しいことですよね。それが、絵であっても、言葉であっても、写真であっても、みんな同じ世界にあるんじゃないかなって思います。かなり、偉そうなこと言っていると思いますが。許して下さい。これが序論で僕が述べていることなので。変な人かもしれませんが、意見をキチンを言って、色々な意見を聞きたい、ただそれだけのことなので。。。
こういったことを考え、人に聞いてもらい、その結果自分を磨くひとつのこととなれば素晴らしいんじゃないかって・・・・・(笑)
話は杉山さんの写真に戻りますが、もうひとつ杉山さんの写真について意見言わせて下さい。杉山さんの写真にしばしば鏡に映った二重の女性写真がでてきますが、これはどんな影響を受け撮られているのですか?また、どういった杉山さんの気持ち(考え)を表現しているのでしょうか?

僕も鏡に映った写真が好きです。ふと、この間どうして自分はこんな写真が好きなのかって考えたとき思ったことを書きます。鏡って、よく昔からその人の魂を映しだすとか、魂を奪うとか言われてますよね。もちろん、そんなことはないのですが、昔の人はそんな事を考えたりしましたよね。それって、やっぱり鏡の魅力なのでしょうか?杉山さんの鏡に映しだされた女性の写真をみていると、なんだか、その女性が本当の私のなかの美しさというものを、鏡をとうして映った自分で訴えているようなものを感じます。ちょっと、考えすぎですかね。(笑)
ただたんに、かっこいい写真というものを自分の中で美的化してるだけなのでしょうか?
でも、本当に杉山さんの写真のなかにストーリーを感じています。かなり、杉山さんを褒め過ぎ?(笑)調子にのってしまったりして(爆笑)でも、それがパワーの源になって一層すばらしい写真をとってくれたら嬉しいです。

以前の僕の作品の中にモデルの顔を出さない写真のシリーズ「SPIRITUAL MOMENT」がありましたが、人の顔は人相学でもわかるようにその人となりや性格を読む事ができます。僕がモデルの顔を出さない写真を撮る時は、逆にそのモデルの顔を隠すことによりその人の人となりや個性を表現するのではなく、僕の中にある何かを表現したい時です。
やはり写真を構成する上でモデルの顔がかなりの比重をしめることが多いからです。
僕の作品に鏡に映った写真が良く見られるのは、これは多分僕の好みの問題だと思いますが、女性が鏡に映った自分を見て自分だけの世界に入り込んでる姿が好きなんでしょうね。それと女性がもつナルシズムみたいなものにも興味があります。
僕自身は鏡を使うことに、あまり意識してはいないのですが、そのあたりで鏡を使う事が多いのかもしれません。もう一つには後ろ姿も顔も両方見せたい時に鏡を使います。洋服の前後ろを見せなければいけないとか、女の子のヒップもバストも見せたいとか・・(笑)
写真を撮る上で一番重要なのは、何をどう撮るかということをしっかり決めて撮ることです。出会いがしらではなかなか良い写真を撮ることはできません。
加納典明さんのようにHに撮るでもいいのです。(加納さん、ごめんなさい!)さすがにあそこまで追求していくとそれが一つの素晴らしい作品群になっていくのです。
まずは、こう撮りたい!ってことを明確にすることです。