技術以外で 本当に大切だったもの|写真が上手くなる前に 身につけていた感覚

技術以外で 本当に大切だったもの

もともと、篠山紀信さんに憧れて写真を始めた。
そのため、雑誌のグラビアには強い興味があった。

篠山さんの写真は、それまでのポートレート的なグラビアとは、明らかに違っていた。

写っているタレントや女優たちは、
まるで篠山さんのガールフレンドであるかのように自然体で、彼にしか見せないような表情を、カメラの前で見せていた。

「写真の上手さ」よりも、被写体との距離感そのものが、写真に現れている。
当時から、そう感じていた。

距離を縮めるということ

自分がグラビアのような撮影をするときは、
意識的に、篠山さん以上に被写体との距離を近くすることを考えていた。

大学二年の頃には、気がつけば100人以上の写真を撮っていた。

人物を撮ることが、やはり一番好きだったのだと思う。

グラビアだけでは 終われなかった理由

ただ、写真を学んでいくうちに、
アートとしての人物写真や、ファッション写真にも興味が広がっていった。

グラビアに固執していたわけではない。
ファッション写真も、アート写真も、同時に研究していた。

ファッション写真については、ファッション研究会の人たちと一緒に作品制作をしていたが、
現実は、プロの有名カメラマンのようにはいかなかった。

モデル、衣装、ヘアメイク。…そして何より、僕自身の感性と技術。
どれを取っても、まだ遠く及ばず、正直なところ、なかなか「良い」と思えるものは撮れなかった。

環境の中で 勝てる場所を探す

一方、アート作品では、必ずしも顔立ちや衣装が重要になるわけではなかった。

そこで、世界的に評価されている写真家たちのヌード作品を研究し、自分なりの作品制作を始めた。

それは、モデルとの距離感を縮めることとは別の次元で、
造形美や思想、さらには宗教観のようなものまで含めた内なる精神を、写真として具体化していく作業だったように思う。

卒業制作は、まさに、そこから生まれた作品だった。

ヌードと、さまざまな「赤の形」が交わる作品群で、
写真と言葉がシンクロする「赤裸々」という題名のカラー作品。

写真一点一点に「せき」が付く熟語を組み合わせ、
写真の下には、書家の方に書いていただいた毛筆の題名を一点ずつ添えた。

そのオリジナルプリントは、大学の倉庫に今も眠っているのだろうか。
一度、見てみたいものである。

▶︎ [写真コレクターの服部良夫氏所蔵のNude作品]

評価された作品と 大学での記憶

その作品は、JPSをはじめとするコンテストで入選・入賞し、
教授の推薦で新聞にも掲載された。

さらに、そのシリーズの発展系となるモノクロ作品が、
写真誌「ZOOM」や「PHOTO」に掲載され、
コダックギャラリーでの初めての個展にもつながっていく。

正直なところ、大学でのゼミの記憶は、あまり残っていない。

世界の有名写真家の解説が興味深く、とても好きだった教授のゼミだったが、
ゼミというより、卒業制作の相談のための授業、という印象だった。

制作内容はすでに自分の中で決めていたし、
外の撮影の仕事も忙しくなっていたため、
四年生の頃は、ほとんど学校に顔を出していなかったと思う。

完成作品を教授に見せに行ったとき、
授業に出ていなかったこともあり、当然のように激怒された。
それでも、作品そのもので評価してくれたのは、さすがだった。

もう一人の審査担当教授には絶賛され、新聞掲載の手配までしてくれた。
Nikonを紹介してくれたのも、この教授だった。

三年生までに卒業単位はすべて取得していたので、何とか卒業できたのかもしれない。

行動力も 技術の一部だった

仕事をするようになると、
僕はまったく面識のない人のもとへも、ポートフォリオを持って、積極的に売り込みに行っていた。

雑誌の編集後記に名前が載っている編集者や関係者、
そして『コマーシャルフォト』で見つけた優秀なアートディレクターを見つけては、電話をかけていた。
会ってもらえるまで、最低でも10回は電話を続けた。

だいたいは、5回も電話をすれば、会ってくれることが多かった。

ただし、会ってくれた人すべてが、
良いことを言ってくれるわけではなかった。

ある広告代理店の写真部の方には、
「うちのスタジオマンからやり直せば」と、はっきり言われたこともある。

それでも、嫌なことは寝たら忘れるタフな性格だった。
次に良い仕事の話が来れば、すぐにケロッとしてしまう。

確かに、僕にはアシスタント経験がなかった。
今振り返れば、たとえ一年でもスタジオに入っていれば、
広告写真の技術と作業のノウハウはもっと早くから身につけられただろうと思う。

それはそれで、もっと大きな仕事へ進むための、ひとつの布石になっていたのかもしれない。

人生は全て自分の選択で動いていく。

機材ではなく 自分自身だった

学生時代を振り返ると、
自分の趣味や嗜好、そして置かれていた環境の中で、

「どうすれば、他の人より一歩抜き出ることができるのか」

それを必死に模索していた時間だった。

撮影機材ではなく、テクニックでもなく、
もっと根っこの部分。

何を撮りたいのか。どんな距離感で人と向き合うのか。
どこで勝負するのか。

その感覚を身につけられたことこそが、
技術以上に、
本当に大切なことだったのだと、
今はそう思っている。

……というか、信じたい🤣