
デジタル全盛の現在では、もはや完全に昔話である。
年寄りの世迷い言、もしくは「そんな時代もあったんだな」というヤバ話として読んでもらえたら幸いだ。
学生時代の 写真の もう少し 技術的な話
僕が大学に入った当時、露出オート機能付きのカメラが出始めた頃だったと記憶している。
mais、まだ精度は高くなく、人物写真を撮る場合は、露出計で測光し、正確な露出を自分で決める必要があった。
モノクロ写真は、フィルム現像とプリント作業の両方で露出をコントロールできたが、当時主流だったコダクローム(25/64)は、
ドンピシャの露出が取れなければ、ほとんど使い物にならなかった。
今思えば、当時は
カラーポジフィルムで、露出とピントをきちんと合わせられること
それ自体が、プロの第一条件だったのかもしれない。
当時はカラープリントでの入稿はほぼなく、仕事で使われるカラー写真の多くは、カラーポジフィルムだった。
そうした背景もあって、絞り優先オートの開発が進んでいたニコンを選び、
Nikon F2 から Nikon FE、そして F3 へと、メイン機材を移し替えながら使っていたのだと思う。
レンズと 写真の 基礎体力
レンズ構成は、50mm、105mm、そしてなぜか24mm。
最初は50mmしか持っていなかったため、絞りを変えることで被写界深度を調整し、写真の「絵作り」を学んでいった。
105mmは中望遠レンズで、
ファッション評論家の方の仕事で、原宿の街を歩くファッショナブルな人々を、相手に気づかれないよう全身で捉える、かなり難しいスナップ撮影のアルバイトで使っていた。
本来は半身を撮るようなポートレートレンズなので、距離は意外と近い。
見つけて、追いかけ、フレームに収め、なおかつピントが合っていなければNG。
もちろん被写体の人にバレちゃう事は多かったが、おおらかな時代で笑顔で会釈すると微笑み返してくれる人が多かった。
街中で気づかれずに人を「狙撃」するような感覚で、
フレーミングとピント合わせの勉強には、これ以上ない訓練だった。
とはいえ、カラーポジフィルムは学生の身には高価だった。
最初はフィルムを入れず、空シャッターを切るところから始めた。
フィルムと 反復練習
次に使ったのはモノクロフィルム。
写真学生の定番だった、コダックの100フィート缶
(で長尺フィルムを自分で切って使うもので、36枚撮り換算で20本弱作れた)
を購入し、ひたすら練習した。
モノクロとはいえ、露出がズレていれば、ベタプリントにしたときに明るさが揃わない。
その積み重ねの中で、露出もピントも、少しずつ身体で覚えていった。
気がつけば、僕はそれなりに「狙撃手」らしくなっていた。
24mmという 選択
当時、広角レンズといえば35mmや28mmが主流だったと思う。
それでも僕は、人と違う写真が撮りたくて、
よりワイドで、歪みも出る24mmを選んだ。
仕事を始めてからは、85mmと180mmを買い足したが、
結局のところ、人物を撮るときは、
50mmで絞りを変えながら撮るのが、一番好きだった。
光源と ライティングを 覚え始めた頃
写真を始めた当初は自然光オンリーだったが、
大学の授業でよく使っていた、定常光のアイランプ500Wを使うようになった。
mais、これはタングステンタイプなので、
モノクロでは良いが、デーライトタイプのカラーフィルムではオレンジ色に転んでしまう。
カラーフィルム用にブルーランプも使った記憶はあるが、発色はあまり良くなかった印象が残っている。
部屋は暑くなるし、触るとやけどする、なかなか厄介な機材だった🤣
puis、ナショナル 松下電器(現パナソニック)から発売されていた
PE-5651
プロ市場を席巻した、伝説的なグリップ型ストロボ(ガイドナンバー56)を購入した。
このストロボはクリップオンとは違うタイプのもので、カメラと離してスタンドに取り付けてシンクロコードで使用できる。100Vの電源、乾電池、積層電池に対応した優れ物だった。
ストロボのヘッドに取り付けるキッチンのアルミボールを改造したオパライトもどきのリフレクターなども自作した。
当時はストロボ光対応の露出計が高価で持っていなかったため、
直当てと、小型アンブレラによるバウンスなどの数種類の光源に合わせて、
1メートル、2メートルとモデルとストロボの距離を紐を使って測り、露出を決めていた。
puis、仕事をするようになってから、
ミノルタの「フラッシメーター3」
ストロボ光を測定できる露出計を手に入れた。
やはりミノルタからカラーメーターが発売されるようになっていましたがストロボ対応型を入手するのはまだずーっと後でした。
中判 大判 そして ポラロイド
大学卒業前には、
RB67と127mmレンズ、複数のフィルムフォルダーを揃えた。
中でも一番うれしかったのは、
ポラロイドが使えるフォルダーを手に入れたことだった。
本番撮影に入る前に、露出やライティングを確認でき、
「こういう写真になります」と、撮影者以外にも視覚的に共有できる。
広告写真家にとって、ポラロイドは必需品だった。
puis、割と近い時期だったと思うが、
NPCプロバックという、35mm用のポラロイドバックも手に入れている。
au fait、4×5カメラも持っていた。
大学の授業で使っていたトヨビューの同じ形の中古品だったと思う。
所有していたレンズはジンマーの180mmのみで、
仕事があるたびに、他のレンズや足りないフィルムフォルダーはレンタルしていた。
大学時代には、
レストランや喫茶店をチェーン展開している会社から、
店舗インテリアの写真を撮る仕事をもらった記憶もある。
当時の建築写真は、
タングステン、蛍光灯など光源が混在しており、
それぞれに合わせてフィルターを交換し、
長時間の多重露光で対応する必要があったため、
うまく撮るのはかなり大変だった。
流石にこの頃にはポラロイドフィルム用のフォルダは持っていたと思う。
「ポラロイド タイプ55」を良く使っていたのを覚えている。モノクロだが適正露出をほぼ判定でき、ネガでピントの詳細をチェックした。
アート作品ではこのネガを使ってプリントするのも世界的に流行していた記憶がある。
4×5や67ではエクタクロームを使っていたので、
増減感である程度の露出は調整できたが、
それでも現像が上がるまでは、いつもドキドキしていた。
後になって、
アナログフィルム時代は、物撮りのプロ中のプロでも
上がりを見るまでは緊張していたと聞き、
「みんなそうだったんだ」と妙に納得した。
技術より先に 引き受ける姿勢があった
学生時代、仕事として最初に多かったのはグラビア系だったが、
いただける仕事は、経験がなくても
「はい、やります!」
と言って、コマーシャルフォト誌を頼りに、何でも引き受けていた。
当時は学生のアルバイトといえども撮影案件はそこそこの金額がもらえ、
グラビア雑誌は1ページ3万円ほど。4ページであれば1回の撮影で12万円。
フィルムも現像も雑誌社持ちで、他の経費も現金で先払いしてくれていた。
今思えば、かなり無謀で、行き当たりばったりなやり方だった。
mais、そういう人生なのは、
もうこの頃から始まっていたのだと思う。🤣


