原宿に越す前のこと―江古田、松見坂、そして原宿へ向かうまで

1980年原宿セントラルアパート

江古田から松見坂へ

東京へ来て最初に住んだのは、日大芸術学部があった江古田だった。
その後、原宿に住みたいという気持ちはあったものの、家賃が高すぎて断念せざるを得なかった。

結局、渋谷の松見坂交差点にあった、おばあちゃんの大家さんが二階に住む一軒家の一階を借りることになる。
広めのリビングがある2LDKの洋館で、スタジオ代わりにモデル撮影を頻繁にしていた。

住所は目黒区青葉台。最寄駅は神泉駅だったが、渋谷駅までは歩くことも多く、モペットのようなバイクを持っていたので、それで移動することも多かった。

原宿へ通う日々と出会い

原宿へは、ほぼ毎週のように足を運んでいた。
「レオン」ではクリエイターの方々から話を聞かせてもらい、
「ベビーフェイス」では、芸能関係や制作の仕事をしている人たちと親しくなっていった。

※「レオン」「ベビーフェイス」ともに原宿セントラルアパート一階にあったカフェ

実は、そこで知り合った方の紹介で、モデルのアルバイトをする機会にも恵まれた。
『男子専科』という男性ファッション誌に何度か出させていただいたり、
コカ・コーラから販売されていたファンタのハワイロケのテレビコマーシャルに出演したこともある。

モデルの仕事と撮影現場での学び

そのハワイロケでは、スチールのカメラマンが入っていなかったので、一緒に出演していた女の子のモデルを、ムービーカメラの横で撮らせてもらうことになった。
コカ・コーラグループのテレビCMということもあり、優秀なスタッフが組んだ現場で、ムービーカメラ横からシャッターを切った写真は、ライティングも構図も申し分ない、完成度の高い広告写真になった。

モデルとして現場に立ちながら、同時に制作の流れを見ることができたのは、多くの学びにつながった。
さらに、現像した写真を制作会社に持っていくと、その写真を気に入ってくれて、買い取りたいといわれた。
そこからスチール撮影の仕事をいただくようにもなっていった。

アルバイトとしてモデルをしながら、現場の空気や仕事の進み方を学べたことは、今振り返ってみても、非常に大きな経験だったと思う。

ベビーフェイスを起点に広がった行動範囲

ベビーフェイスは、業界人だけでなく、外国人モデルたちの溜まり場にもなっていた。
英会話の本を片手に、拙い英語で話しかけてみる。
英語の勉強にもなり、まさに一石二鳥だった。
そこで仲良くなったモデルに、プライベートでモデルをお願いすることもあった。

彼らと一緒にいると、当時最前線だった、新宿伊勢丹近くにあった「ツバキハウス」というディスコに、フリーでVIPルームへ案内されることもあった。
そうした縁から、店長やDJの人たちとも顔見知りになり、次第に自由に出入りできるようになっていく。

原宿へ向かう準備期間

外国人モデルたちが集まる場所では、写真を撮る機会にも恵まれ、気がつけば、そうした作品もずいぶんと増えていた。
それらの写真を雑誌社の人や業界の人に見せると、また更に次へと繋がっていった。

その後、雑誌の仕事が増え、一年ほど市ヶ谷や神保町に近い新宿に住んだ時期もある。

車を手に入れ、大学卒業を機に、
クリエイターが集う原宿へ越すことを決めた。

▶︎ [原宿に向かう前、学生時代に体験した東京の夜と音楽文化―赤坂・六本木・新宿]