
原宿への引越しと事務所の始まり
大学卒業の年、原宿にあるマンションへ引っ越した。
三階建てで戸数は多くなかったが、すでに活躍しているカメラマンの事務所が二件、デザイン事務所が一件入っていた。
驚いたことに、そのうちの一つのカメラマン事務所には、大学の同級生が二人もアシスタントとして入っていた。
そんな縁もあって、隣のカメラマンやデザイナーの方々にも何かと可愛がってもらい、デザイン事務所からは実際に仕事をいただくこともあった。
ナショナルフォートとの出会い
しばらくすると、セントラルアパートに入っていた、有名プロカメラマン御用達の写真機材・現像のプロショップ「ナショナルフォート」が、細い通りを挟んだマンションの目の前に移転してくることになる。
下見に来ていた社長とたまたま話す機会があり、「今度ここに越してくるから、あんた目の前やし、現金やのうてツケで使い」と声をかけてもらった。
今では考えられないことだが、百万円もする大型ストロボを、金利なしの分割、しかも“ある時払い”で使わせてもらったこともある。
それ以来、事務所にはフィルムの買い置きをする必要もなくなった。
原宿という最高の制作環境
一階の駐車場は二台分借りていたのだが、僕が車で出かけている時は「ナショナルさん、使ってもらっていいですよ」と伝えていた。
店先から車やバイクで出かける際には見えるので、ナショナルフォートのスタッフの方は、僕が事務所にいるかどうかも自然と分かる関係になっていた。
プロショップが近くに移ってきたことで、カメラメーカーやフィルムメーカーの方々が、しょっちゅう事務所に立ち寄ってくれるようになる。
ナショナルフォートの社長が、僕のことをよく紹介してくれていたからだ。
さらに近所には、コダクロームを扱う東洋現像所(後のイマジカ)もでき、カメラマンにとってはこれ以上ない環境が整っていった。
原宿での生活
食料品店は紀伊國屋マーケットくらいしかなかったので、食事はほとんど外食だった。
ゼストやラ・ボエムが近所にあり、その後はビブレもできた。
外食の店は年々増えていき、食事に困ることはなかった。
昼には「大臣のお弁当」を取ることもあった。
僕が引っ越しする少し前にラフォーレ原宿がオープンしたことも、原宿に人が集まるようになった要因の一つだった。
また、原宿から代々木公園にかけての歩行者天国に、竹の子族やロックンローラー族が押し寄せるようになったのも、この頃である。
名刺と仕事の広がり
卒業と事務所開設の挨拶で、さまざまなところへ顔を出すようになると、
名刺に刷った
「渋谷区神宮前 スタジオNOB 杉山写真事務所」
という肩書きの効果を、はっきりと感じるようになった。
Nikonからの一本の電話
引っ越してしばらくしたある日、Nikonから事務所に電話が入った。
「ノブのオフィスの電話が鳴った」
そんな一文から始まる、写真とエッセイによる撮影日記風の文庫本(Nikon EM)の仕事の依頼だった。
そこから先、仕事の量は一気に、爆発的に増えていくことになる。

