
原宿へ向かう前、夜の東京が教えてくれたこと
東京での夜遊びの「いろは」を教えてくれたのは、大学の先輩だった。
まだ何も知らなかった学生の僕が、最初に足を踏み入れたのは赤坂ビブロス。
1968年に誕生した、日本初の本格的ディスコだ。
そこは単なる踊り場ではなく、芸能人や文化人が集う社交場だった。
背伸びして選んだ服装で重い扉を開けたときの緊張と高揚感は、今もはっきり覚えている。
六本木で知った「洗練」と「熱」
次に連れて行かれたのが、六本木スクエアビル地下のキャステル(CASTEL)。
シャンデリアとベルベットに包まれたゴージャスな空間で、AORや洗練されたソウルが流れていた。
その一方で、六本木にはもうひとつ、まったく違う顔があった。
地下にあったホット・コロッケ(HOT CROQUETTE)だ。
ジャマイカから届いたレゲエやスカ、ソカの重たいベース。
お立ち台ではなく、音に身体を預けて踊るフロア。
ここで初めて、「音楽に身を委ねる感覚」を知った気がする。
新宿・ツバキハウスという転換点
そして、流れ着いたのが新宿。
伊勢丹のすぐ横にあったツバキハウス(TSUBAKI HOUSE)だ。
赤坂や六本木とは、空気がまったく違っていた。
流れていたのは、テクノ・ポップやニューウェーブ。
YMOの無機質なサウンドが、若いクリエイターや学生たちの熱とぶつかり合っていた。
ファッションも音楽も、「今」ではなく「これから」を向いていた。
その未来志向の感覚は、原宿で感じた空気と、どこか似ていた。
原宿へつながっていく感覚
赤坂で「格」を知り、
六本木で「洗練」と「グルーヴ」を体験し、
新宿で「未来の音」に触れた。
学生時代にあちこちのディスコを渡り歩いたことは、
今思えば、ただの遊びではなかったのだと思う。(言い訳🤣)
それぞれまったく異なる音楽が、
それぞれの個性を持った人たちに支持され、急激にトレンドが移り変わっていく。
その変化を肌で感じる中で、自分自身もまた、多様な価値観がひしめく世界の中で、
「何を選び、どこへ進むのか」を考えるようになっていったのかもしれない。
流行りものに惹かれ、最先端を体験したいという感覚は、そのまま原宿という街へ向かう下地になっていった。
原宿に越す前、
僕の感覚はすでに、夜の東京で少しずつチューニングされていた。


