原宿に向かう前、学生時代に体験した東京の夜と音楽文化―赤坂・六本木・新宿

1980年原宿セントラルアパート

原宿へ向かう前、夜の東京が教えてくれたこと

東京での夜遊びの「いろは」を教えてくれたのは、大学の先輩だった。

まだ何も知らなかった学生の僕が、最初に足を踏み入れたのは赤坂ビブロス

1968年に誕生した、日本初の本格的ディスコだ。

そこは単なる踊り場ではなく、芸能人や文化人が集う社交場だった。

背伸びして選んだ服装で重い扉を開けたときの緊張と高揚感は、今もはっきり覚えている。

六本木で知った「洗練」と「熱」

次に連れて行かれたのが、六本木スクエアビル地下のキャステル(CASTEL)

シャンデリアとベルベットに包まれたゴージャスな空間で、AORや洗練されたソウルが流れていた。

その一方で、六本木にはもうひとつ、まったく違う顔があった。

地下にあったホット・コロッケ(HOT CROQUETTE)だ。

ジャマイカから届いたレゲエやスカ、ソカの重たいベース。

お立ち台ではなく、音に身体を預けて踊るフロア。

ここで初めて、「音楽に身を委ねる感覚」を知った気がする。

新宿・ツバキハウスという転換点

そして、流れ着いたのが新宿。

伊勢丹のすぐ横にあったツバキハウス(TSUBAKI HOUSE)だ。

赤坂や六本木とは、空気がまったく違っていた。

流れていたのは、テクノ・ポップやニューウェーブ。

YMOの無機質なサウンドが、若いクリエイターや学生たちの熱とぶつかり合っていた。

ファッションも音楽も、「今」ではなく「これから」を向いていた。

その未来志向の感覚は、原宿で感じた空気と、どこか似ていた。

原宿へつながっていく感覚

赤坂で「格」を知り、
六本木で「洗練」と「グルーヴ」を体験し、
新宿で「未来の音」に触れた。

学生時代にあちこちのディスコを渡り歩いたことは、
今思えば、ただの遊びではなかったのだと思う。(言い訳🤣)

それぞれまったく異なる音楽が、
それぞれの個性を持った人たちに支持され、急激にトレンドが移り変わっていく。
その変化を肌で感じる中で、自分自身もまた、多様な価値観がひしめく世界の中で、
「何を選び、どこへ進むのか」を考えるようになっていったのかもしれない。

流行りものに惹かれ、最先端を体験したいという感覚は、そのまま原宿という街へ向かう下地になっていった。

原宿に越す前、
僕の感覚はすでに、夜の東京で少しずつチューニングされていた。

▶︎ [原宿へ向かう前に育った写真の感覚―学生時代と、カメラマンを志した原点]