搬到原宿的那天——設立辦公室、工作開始的那一刻

1980原宿中央公寓

原宿への引越しと事務所の始まり

大学卒業の年原宿にあるマンションへ引っ越した
三階建てで戸数は多くなかったがすでに活躍しているカメラマンの事務所が二件デザイン事務所が一件入っていた

驚いたことにそのうちの一つのカメラマン事務所には大学の同級生が二人もアシスタントとして入っていた
そんな縁もあって隣のカメラマンやデザイナーの方々にも何かと可愛がってもらいデザイン事務所からは実際に仕事をいただくこともあった

ナショナルフォートとの出会い

しばらくするとセントラルアパートに入っていた有名プロカメラマン御用達の写真機材・現像のプロショップ「ナショナルフォート」が細い通りを挟んだマンションの目の前に移転してくることになる
下見に来ていた社長とたまたま話す機会があり「今度ここに越してくるからあんた目の前やし現金やのうてツケで使い」と声をかけてもらった

今では考えられないことだが百万円もする大型ストロボを金利なしの分割しかも“ある時払い”で使わせてもらったこともある
それ以来事務所にはフィルムの買い置きをする必要もなくなった

原宿という最高の制作環境

一階の駐車場は二台分借りていたのだが僕が車で出かけている時は「ナショナルさん使ってもらっていいですよ」と伝えていた
店先から車やバイクで出かける際には見えるのでナショナルフォートのスタッフの方は僕が事務所にいるかどうかも自然と分かる関係になっていた

プロショップが近くに移ってきたことでカメラメーカーやフィルムメーカーの方々がしょっちゅう事務所に立ち寄ってくれるようになる
ナショナルフォートの社長が僕のことをよく紹介してくれていたからだ
さらに近所にはコダクロームを扱う東洋現像所(後のイマジカ)もできカメラマンにとってはこれ以上ない環境が整っていった

原宿での生活

食料品店は紀伊國屋マーケットくらいしかなかったので食事はほとんど外食だった
ゼストやラ・ボエムが近所にありその後はビブレもできた
外食の店は年々増えていき食事に困ることはなかった
昼には「大臣のお弁当」を取ることもあった

僕が引っ越しする少し前にラフォーレ原宿ハナエ・モリ ビルがオープンしたことも原宿に人が集まるようになった要因の一つだった

還、原宿から代々木公園にかけての歩行者天国に竹の子族やロックンローラー族が押し寄せるようになったのもこの頃である

名刺と仕事の広がり

卒業と事務所開設の挨拶でさまざまなところへ顔を出すようになると
名刺に刷った
「渋谷区神宮前 スタジオNOB 杉山写真事務所」
という肩書きの効果をはっきりと感じるようになった

Nikonからの一本の電話

引っ越してしばらくしたある日Nikonから事務所に電話が入った
「ノブのオフィスの電話が鳴った」
そんな一文から始まる写真とエッセイによる撮影日記風の文庫本(Nikon EM)の仕事の依頼だった

そこから先仕事の量は一気に爆発的に増えていくことになる

▶︎ [学生時代の写真技術と機材の話|露出 フィルム レンズ 光源を身体で覚えた時代 ]