
人生には、その後の運命を大きく変えていたかもしれない「分岐点」がある。私にとってそれは、1990年の夏、ある一人の男と交わした「再会」の約束だった。
その男の名は、竹島 将(たけしま しょう)。
当時、日本のハードボイルド界で最も勢いのある若手作家であり、同時に250ccのレーシングチーム「チーム・ファントム」を率いる、文字通り「疾走」を体現するような人物だった。
1. ゴールドコーストでの出会い:同い年のライダーとして
当時、私はオーストラリアに在住して5年が経とうとしていた。写真家として活動していた私は、取材のために現地を訪れていた竹島さんと行動を共にすることになった。
取材の対象は、伝説のGPライダー、バリー・シーン。 1970年代の世界チャンピオンであり、引退後はゴールドコーストに居を構えていた彼のご自宅を訪ねるという、バイク乗りなら誰もが胸を躍らせるプロジェクトだった。
竹島さんと私は同年齢だった。
私自身も大型バイクに乗るライダーであったこともあり、同じ時代を生きる同世代として、私たちはすぐに意気投合した。単なる「作家と写真家」という仕事上の関係を超えて、バイクを愛し、レンズとペンで世界を切り取ろうとする者同士、魂の波長が重なるのを感じるのに時間はかからなかった。
2. 託された「静かな信頼」:編集者さえ知らない原稿
滞在中、忘れられない出来事がある。竹島さんが、ふとした拍子に私にこう言ったのだ。
「これ、読んでみてよ」
手渡されたのは、彼が執筆している最中の連載小説の原稿だった。驚いたことに、それは担当編集者ですらまだ目にしていない、世界で誰一人として読んでいない「書きかけ」の生原稿だった。作家にとって、完成前の原稿を人に見せるのは、いわば裸の自分をさらけ出すようなものだ。
私は異国の風に吹かれながら、彼が命を削って紡ぎ出している物語の一節を、誰よりも早く目にする特権を得た。その原稿を読んだ感想は、滞在中に彼に直接伝えた。同い年の友人として率直に語る私の言葉を聞く彼の表情は、今も記憶の片隅に鮮明に残っている。
3. 「新しい仕事」への予感と、唐突な幕切れ
5年間のオーストラリア生活に区切りをつけ、完全帰国を目前に控えていた私は、一時帰国の際に竹島さんと再会する約束をしていた。
それは単なる再会ではなく、「日本に戻ったら、また違った仕事を一緒にしよう」という、写真家と作家による新たなクリエイティブへの挑戦を誓い合う約束でもあった。彼という「初めての作家の友達」と、これからどんな世界を切り取っていけるのか、私は希望に溢れていた。
mas、その約束のわずか1週間前。信じられない報せが届く。
1990年7月6日。竹島将、バイク事故により急逝。享年32。
東京都内の環状八号線。愛車と共に、彼はあまりにも早く、あまりにも唐突に、この世を駆け抜けていってしまった。同じ年月を歩んできた友人は、その輝きの絶頂で、伝説となってしまったのだ。
4. 35年を経て思う、未完の未来
se、あの1週間後の再会が果たされていたら。 se、彼と共に新しいプロジェクトを動かしていたら。 私の写真家としての人生も、今とは全く違う形になっていたかもしれない。
竹島将という男には、それほどまでに強烈な、周囲を巻き込んで加速させる引力があった。バリー・シーンの邸宅で、憧れのスーパースターを前に目を輝かせていたあの日の彼。E、信頼の証として私に未完の原稿を預けてくれたあの日の熱量。
35年以上の月日が流れた今も、オーストラリアの眩しい太陽の下で笑う彼の姿は色褪せない。あの日交わした「新しい仕事」の約束は、今も私の中で未完のまま、大切な宝物として生き続けている。
あとがき
竹島将さんという、流星のように駆け抜けた作家の「素顔」を知る一人として、この記録をここに残します。同い年の友として、彼が最後に私に見せてくれた情熱は、今も私のシャッターを切る力の一部になっています。


