写真を教える人が増えた時代──写真業界の変化とAI時代を考える

写真を教える人が増えた時代──写真業界の変化とAI時代を考える| 杉山宣嗣

なぜ写真講座がこれほど増えたのか

最近、SNSを開くたびに感じることがあります。

「写真を教えます」
「オンライン写真講座」
「作品添削します」
「写真で収益化する方法を教えます」

そんな広告が、本当に多く流れてくるようになりました。

以前から写真教室やセミナーというものは存在していました。

しかし、ここ数年の増え方は少し違う印象があります。

写真を撮る人よりも、写真を教える人のほうが目立つ時代になったように感じるのです。

もちろん、写真を学びたい人がいるから成立している市場です。

写真を始めたばかりの人が、経験者から学ぶことで上達することはあります。

独学では気づけないことを教えてもらう価値もあります。

ですから、写真を教えるという仕事そのものを否定するつもりはありません。

ただ、長く写真業界を見てきた立場からすると、少し不思議に思うことがあります。

「これほど多くの写真講座が必要とされるほど、写真を学びたい人は増えているのだろうか」

という疑問です。


学ぶ場所は減り、教える人は増えているように見える

写真を本格的に学ぶ場所として、昔から写真系の大学や専門学校がありました。

写真を職業にしたい人たちは、そこで撮影技術だけではなく、写真史、表現、作品制作、広告写真、社会との関わりなどを学んできました。

しかし現在、写真系の大学や専門学校は、少子化の影響もあり、受験者数の減少が課題になっているところがあります。

もちろん、学校教育とSNS上の写真講座は目的が違います。

大学や専門学校は職業教育として数年間学ぶ場所です。

一方で、SNSの写真講座は趣味の上達や副業、短期間でのスキル習得を目的にしているものも多い。

単純に比較できるものではありません。

それでも不思議なのです。

写真を体系的に学ぶ教育機関では学生集めに苦労している。

一方で、SNSでは写真講座の広告が次々と表示される。

「写真を学ぶ人は減っているのか」
「それとも、学び方そのものが変わったのか」

時代の変化を感じます。


私自身も教える経験は数多くしてきた

誤解されるかもしれませんが、私は「写真を教えることができない」と言っているわけではありません。

むしろ、教えること自体は得意なほうだと思っています。

これまで技術的なことだけではなく、作品のコンセプト作りや、写真を見る視点について多く話してきました。

以前は企業から依頼をいただき、プロのフォトグラファーを対象にしたセミナーや講演も数多く行っていました。

趣味として写真を楽しむ人向けではなく、仕事として写真に向き合うプロフェッショナルに向けて話をする機会です。

また、一緒に仕事をしてきたアシスタントの中には、写真賞を受賞した人もいます。

その後、写真家として名前が知られるようになった人もいます。

だから、「教えられる技術がないから教えない」という話ではありません。

写真の技術。

光の考え方。

構図。

撮影現場での判断。

そして何より重要だと思っている、作品のコンセプト。

「なぜこの写真を撮るのか」

「なぜこの表現でなければいけないのか」

そういう部分を伝えることは、むしろ得意分野です。


それでも写真教室を仕事にしない理由

それでも、私は積極的に写真教室を開こうとは思いません。

理由は、自分の性格です。

私はお世辞を言うことが苦手です。

作品を見て、本当に良いと思えば素直に評価します。

しかし、正直なところ、それほど良いと思えない作品に対して「素晴らしいですね」と言うことはできません。

改善したほうがいい部分があれば、そこを伝えてしまいます。

もちろん、相手を否定したいわけではありません。

むしろ逆です。

本当に上達してほしいと思うからこそ、表面的な褒め言葉ではなく、必要なことを伝えたいと思っています。

しかし現在の写真教育には、技術だけではなく、受講者が楽しく続けられる環境づくりも求められています。

それはビジネスとして当然のことだと思います。

人に教える仕事には、技術以外の能力も必要です。

相手の気持ちを理解すること。

モチベーションを維持させること。

楽しみながら学べる空気を作ること。

私はその部分よりも、作品そのものと向き合うほうが性格的に合っています。

だから私は、教える人になるより、撮る人でいたいと思っています。


写真家の仕事は大きく変わった

昔、写真家の仕事といえば、基本的には撮影でした。

広告写真。

雑誌撮影。

企業案件。

商品撮影。

建築写真。

ポートレート。

撮影によって収入を得ることが写真家の中心でした。

しかし今は違います。

SNS。

YouTube。

オンライン講座。

コミュニティ。

教材販売。

そして生成AI。

写真家が価値を提供する場所は大きく広がりました。

撮影以外にも収益化する方法が増えたことは、時代の流れとして自然なことだと思います。

昔は一部の専門家しか発信できなかった知識が、今では誰でも届けられる時代です。

これは良い面もあります。

一方で、「写真家とは何をする人なのか」という定義も変化しているように感じます。

技術よりも、何を表現するかが重要になる時代

写真を取り巻く環境は、昔とは大きく変わりました。

カメラは高性能になり、オートフォーカスは驚くほど正確になりました。

露出もカメラが判断してくれます。

スマートフォンでさえ、誰でも簡単に美しい写真を撮れる時代です。

さらに現在は、AIによる画像生成や画像補正も急速に進化しています。

昔のように「カメラを使える技術」だけでは、大きな差を作ることが難しくなっています。

もちろん、技術は今でも重要です。

写真を成立させるための基礎技術が不要になるわけではありません。

しかし、これからさらに重要になるのは、その先にあるものだと思っています。

「何を撮るのか」

「なぜそれを撮るのか」

「どんな世界観を作りたいのか」

つまり、写真家自身の視点や考え方です。

私がアシスタントに伝えてきたことも、単なるカメラ操作ではありませんでした。

カメラの設定方法だけなら、今はインターネットでいくらでも調べられます。

でも、その写真にどんな意味を持たせるのか。

なぜその光を選ぶのか。

なぜその構図でなければならないのか。

そこには、その人自身の経験や感性が必要になります。


大掛かりな撮影から、AI映像表現へ

そして、私自身も時代の変化から離れているわけではありません。

現在も写真撮影は続けています。

ただ最近は、生成AIを使って、どこまで作品として成立する表現が作れるのかを研究しています。

これは「写真をやめてAIに移行する」ということではありません。

長年写真で培ってきた考え方を、新しい表現領域でどう活かせるのかという興味です。

光の方向。

空間の作り方。

人物の存在感。

世界観。

物語性。

写真で考えてきたことは、AIによる映像表現でも決して無駄にはならないと思っています。

正直に言えば、以前のような大掛かりな撮影を組むことは、昔ほど簡単ではありません。

スタッフを集める。

ロケーションを探す。

機材を準備する。

モデルや制作チームを調整する。

一つの作品を作るためには、大きな費用と労力が必要です。

若い頃なら勢いで乗り越えられたことも、年齢を重ねると身体的な負担も現実的に考えなければいけません。

もちろん、だから撮影をやめるということではありません。

ただ、表現方法は一つではないと思うようになりました。

昔と同じ方法だけにこだわる必要はない。

新しい道具を使いながら、自分の頭の中にあるイメージをどう具現化するか。

そこに今は興味があります。


AIは写真家を奪うものなのか

生成AIの登場によって、「写真家の仕事がなくなる」という話もあります。

確かに、単純な商品画像やイメージカットなど、一部の領域では大きな変化が起きるでしょう。

しかし、私はAIを単純な脅威とは考えていません。

写真も、かつてフィルムからデジタルへ移行した時、多くの人が戸惑いました。

「デジタルでは写真ではない」

そんな意見もありました。

しかし現在、デジタル写真は当たり前になっています。

大切なのは道具そのものではなく、その道具を使って何を生み出すかです。

カメラもフィルムもデジタルも、そしてAIも、すべて表現のための手段です。

最後に残るのは、作者が何を考え、何を伝えたいのかという部分だと思います。


これから写真家に必要なもの

SNSを見ると、写真講座の広告が本当に多くあります。

その光景を見るたびに、「今は撮る時代というより、教える時代なのだろうか」と考えることがあります。

しかし同時に、私自身も新しい表現方法を探しています。

時代が変われば、写真家に求められるものも変わります。

昔のように、ただ撮影技術だけを磨けばいい時代ではありません。

撮影する力。

考える力。

伝える力。

そして、新しい技術を取り入れる柔軟性。

これからの写真家には、そうした複数の能力が求められるのではないでしょうか。

教える人が増えたことも、AIが登場したことも、すべて写真を取り巻く環境の変化です。

その変化を否定するのではなく、自分自身がどう向き合うかが大切なのだと思います。

私はこれからも、誰かに写真とは何かを説明するだけではなく、自分自身の作品で答えを出していきたいと思っています。

写真なのか。

映像なのか。

AIによる新しい表現なのか。

その境界線は、これからさらに曖昧になっていくでしょう。

でも、表現したいという気持ちがある限り、写真家として向き合うべき本質は変わらないと思っています。

道具は変わる。

時代も変わる。

しかし、作品を生み出そうとする想像力や、自分だけの視点を持つことの価値は変わらない。

これからも私は、自分が納得できる一枚、そして一つの映像表現を追求していきたいと思います。