
はじめに
「えっ……広告?」
ある日、ChatGPTを開いて驚きました。
これまで見慣れていた画面とは違う場所に、スポンサー表示がある。
さらに、長い文章を書いている途中で会話が途切れたり、「新しいチャットを始めてください」という案内が表示されたりすることも増えました。
私は仕事で写真を撮っています。
建築写真や動画の撮影、ブログの執筆、企画書の整理まで、ChatGPTは単なる質問箱ではなく、一緒に考え、一緒に形にしていく相棒のような存在になっています。
だからこそ、その変化にはすぐ気が付きました。
性能は上がっている。
できることも増えている。
それなのに、以前より自由ではなくなった。
そんな不思議な感覚を覚えています。
ChatGPTを使い始めた頃の衝撃
私がChatGPTを使い始めた頃は、「こんなことまでできるのか」と驚くことばかりでした。
文章を書き直してもらう。
企画を考えてもらう。
撮影機材について相談する。
契約書の内容を一緒に確認する。
思いついたアイデアを整理してもらう。
しかも、会話は自然につながり、前に話した内容も踏まえながら話が進んでいく。
検索エンジンとはまったく違う体験でした。
検索ではなく「一緒に考える」道具
調べ物をするためではなく、「一緒に考える」ための道具。
それが私にとってのChatGPTでした。
だからこそ、気軽に話しかけ、長い時間をかけて一つのテーマを掘り下げることが当たり前になっていました。
最近感じる変化
ところが最近は、その感覚が少し変わってきました。
長文を書いていると途中で制限がかかる。
一つのチャットで何日も作業を続けることが難しくなる。
以前なら何度も推敲を重ねられた記事が、途中で区切られてしまうこともあります。
そして、広告。
広告そのものが問題なのではない
もちろん、広告そのものを否定したいわけではありません。
巨大なAIを動かすには、莫大なコンピューター資源が必要です。
世界中の利用者が毎日何億回も質問を投げかけているわけですから、その運営コストが想像を超えるものであることは容易に想像できます。
無料で使えるサービスだからこそ、どこかで収益を確保しなければならない。
その理屈は十分理解できます。
ですが、理解できることと、少し寂しいと感じることは別です。
創作にとって「自由」は何より大切
私は写真を撮る仕事をしています。
昔はフィルムでした。
撮れる枚数には限りがあり、一枚一枚を大切にシャッターを切っていました。
デジタルになってからは、その制限がほとんどなくなりました。
何百枚、何千枚と撮影し、その中からベストを選ぶ。
表現の自由は大きく広がりました。
AIも同じような存在になるのではないかと思っていました。
発想にブレーキをかけてしまう制限
思いついたことを自由に投げかける。
何度でも書き直す。
違う視点を試す。
失敗しても、また最初から考え直せる。
そんな自由さこそが、このAIの魅力でした。
ところが今は、その自由さに少しだけ「残り回数」や「制限」を意識する瞬間があります。
すると、人は自然と質問を減らします。
「これは聞かなくてもいいかな。」
「あとでまとめて聞こう。」
「この修正は我慢しよう。」
そうやって、自分の発想にブレーキをかけるようになります。
それは、創作をする人間にとって決して小さな変化ではありません。
ChatGPTは私にとって編集者のような存在
私がブログを書く理由は、検索順位のためだけではありません。
写真にも同じことが言えます。
「この人に撮ってもらいたい。」
そう思ってもらえることが何よりも大切です。
ブログもまた、その人柄や考え方を知ってもらう場所です。
だからChatGPTには、単に文章を作ってもらうのではなく、自分の考えを整理し、自分らしい言葉を見つける手伝いをしてもらっています。
AIとのキャッチボールで記事は完成する
実際には、私が話し、それをChatGPTが整え、また私が修正する。
そんなキャッチボールを何十回も繰り返して、一つの記事が完成します。
このやり取りは、人間同士の編集作業に近いものがあります。
だから、途中で会話が切れてしまうと、編集者が突然席を立ってしまったような感覚になるのです。
AIは進化した。でも使いやすさも大切
AIは、この数年で驚くほど進化しました。
画像を作れる。
動画も作れる。
音声で会話もできる。
翻訳も、プログラムも、資料作成もこなします。
数年前には想像もできなかった世界です。
その進化には素直に感謝しています。
性能と使いやすさは別の話
一方で、「便利になったこと」と「使いやすくなったこと」は必ずしも同じではありません。
性能だけを追い求めても、毎日使いたいと思える道具になるとは限りません。
カメラも同じです。
スペックが高ければ良い写真が撮れるわけではありません。
操作しやすく、持ちやすく、安心して使えることも同じくらい重要です。
AIにも、それは当てはまるのではないでしょうか。
これからのChatGPTに期待したいこと
私はこれからもChatGPTを使い続けると思います。
便利だからです。
仕事の効率は間違いなく上がりました。
文章を書く時間も短くなりました。
新しい発想をもらうこともあります。
だからこそ期待しています。
創作の流れを止めないAIであってほしい
性能だけではなく、「使っていて楽しい」と思える体験も進化してほしい。
長い会話を安心して続けられること。
創作の流れを止めないこと。
考えを途中で遮らないこと。
そんな、人とAIが自然に向き合える環境が、これからさらに育っていけばいいと思っています。
広告が表示されるようになったことも、利用制限が増えたことも、一つの時代の流れなのでしょう。
AIは社会インフラになりつつあり、その運営には現実的なコストがかかります。
無料サービスが永遠に無料のままでいられないことも理解できます。
それでも私は、AIの本当の価値は、答えを返してくれることだけではないと思っています。
一緒に悩み、一緒に考え、一緒に言葉を磨いていくこと。
その時間こそが、この時代ならではの新しい創作体験です。
だから今日も私はChatGPTを開きます。
「ちょっと相談があるんだけど。」
その一言から始まる会話が、まだまだ続いてほしいと願いながら。
「最近、AIが馬鹿になった」と感じる理由
もう一つ感じることがあります。
それは、「最近、AIが少し馬鹿になったのでは?」ということです。
もちろん、AIそのものの性能が急に落ちたわけではないのでしょう。
むしろ、モデル自体は以前より賢くなっているはずです。
それでも実際に使っていると、「前ならもっと詳しく説明してくれたのに」「途中で話が終わってしまう」「肝心な部分が省略されている」と感じる場面が増えました。
長い記事を書いていると、回答が途中で要約されてしまったり、「続きます」と言いながら十分な内容が返ってこなかったりすることもあります。
利用者としては、それが「AIの質が落ちた」と感じる原因になります。
実際には、無料プランの利用制限や、一回の応答量の制約などが影響している可能性があります。
限られたリソースの中で回答を生成しているため、以前のように細かな説明や長文を返しにくくなっているのかもしれません。
つまり、「AIが馬鹿になった」のではなく、「AIが十分に話せない環境になった」と感じるのです。
以前なら10まで説明してくれたことが、今は5や6で終わってしまう。
その積み重ねが、「最近のAIは以前ほど賢くない」という印象につながっているのではないでしょうか。
私自身、長く使っているからこそ、その変化を少し残念に感じています。
性能は確実に進化しています。
しかし、利用者が受け取れる回答の密度まで含めて考えると、「以前のほうが満足度は高かった」と感じる場面があるのも事実です。
これは、ChatGPTだけではなく、すべてのAIに共通しています😭


